【ACOH-S 通信 NO.104】自分の物差しで生きる

カテゴリーACHO-S通信
この投稿をシェア twitter facebook line

新年明けましておめでとうございます。

 2023年のスタートに当たって、今月は生徒さんの感想もお休みにしたので何を書こうかな?と迷いました。香港の曹樹偉老師、台湾の陳佐鎮老師については、以前通信でも何度か書いてますので、今回はわたくし秋葉明子について書いてみたいと思います。
 その前に私を語るうえで、皆さんには台湾と日本の関係をもう一度頭に入れておいていただきたいので、ご存じの方がほとんどだと思いますが、ちょっと歴史講座にお付き合いいただければ幸いです。

 1894年ー1895年までの日清戦争勝利により、下関条約1895年4月に日本は清より台湾を割譲されました。その当時、台湾は荒れ果てていた土地と疫病など(文盲率97%)で、清にとって魅力のない島でした。そのような不毛の台湾を、当時の日本から来た優秀な役人達の努力により、1895年から終戦の1945年まで(50年)統治が続き、インフラはもちろん、教育は8割の台湾人が日本語を読み書きできたといわれています。ですから、今も台湾人は日本に感謝されている方が多く、2011年の東北大震災には、義援金を一国で250億円というダントツの額を寄付してくれました。(しかし当時の民主党は中国に遠慮して、マスコミなどほぼ報道しなかったので、知らなかった方が多かったはずです。)

 そんな台湾で私の父は生まれ、終戦の22歳までを過ごしたいわゆる湾性です。日本人ですが、日本を知らずに大人になったと言えます。わたしの祖父はその台湾で官僚をしていた人で、水崎格とググると、Wikipediaに出てきます。そんなご縁のある台湾に、2007年から2012年まで暮らしました。台湾についての知識は父親からもあまり聞いていなかったので、亡き祖父の貴重な回顧録をもって、台湾に着いてから台湾統治時代の講座を学びに行ったりして、自分のルーツをまるで、百田尚樹の「永遠の0」のあの孫姉と弟たちの様に、ゆかりの土地を巡ってきたりもしました。
 そんなルーツを探っているちょうどその頃、台北に住んでいる時に、歩いて五分もかからないご近所に台湾の気功の師である陳佐鎮老師が住んでいらっしゃいました。そして陳老師の近くの地元の教室に週一回通いだし、最初から私のことを認めてくださったこともあり(太極拳をすでに日本で教えていた)個人レッスンを受ける傍ら、地元の練習の時には、いつの間にか私が前で地元の生徒さんに指導させていただくという流れになっていきました。

 台湾に住んでいた時も、日本では有志の生徒さんで教室を続けていてくれたので、年に4回くらいは指導に帰っていました。2012年に帰国した時も、すぐに教室は継続でき、しかも太極拳だけでなく、気功やカンフーも取り入れて、今の教室に形ができてきました。

 私の性格はどちらかというと、反骨精神に溢れた祖父に似ているような気がします。世間という物差しより、自分の物差しで生きた人でした。なので、苦労も多かったみたいですが、自由奔放に生きたのではないかと思います。父親も台湾で生まれ育ち、日本に初めて住んだときはきっと窮屈さを感じたことだろうと推測できます。

 今でも台湾の空気は、ゆるーくて、行けば緊張感がなくなってしまう。癒されに行く人が多いのは、今も昔の日本の空気が残っているからだと思います。人とかかわるのが好き!おせっかいが好き!気の毒な人を見捨てられない!
そんな古き良き日本の善良さが残っているのが台湾です。コロナ化により、もう3年も台湾に行けてませんが、早く世界が正常に戻り、また気軽に海外に行ける日が一日もはやく来ますように!

 どうぞ、今年も宜しくお願いします!
                                       湘之奇 秋葉明子