【ACOH-S 通信 NO.134】金庸沼とは?
今月の通信は、急遽 秋葉がお届けします。
最近、すっかり寝不足が続いています。
原因は――昨年暮れから
中国の武侠小説シリーズに、どっぷりとハマってしまったからです。
なかでも今読んでいる『射鵰英雄伝(しゃちょうえいゆうでん)』が面白すぎて、寝るタイミングを逃しがちです。
続編の『神鵰剣侠(しんちょうけんきょう)』にも突入し、いまや最終巻の第5巻。
沖縄旅行中も車の助手席で読みふけるほどで、完全に“金庸(ジン・ヨン沼”にハマっています。
そしてついに昨日、読み終えました!
武侠小説とはいえ、切ない純愛ラブストーリーも描かれていて、韓国ドラマ以上にハラハラドキドキさせられました。
金庸は中華圏では知らぬ人のいない大作家です。
子ども時代に彼の小説を夢中で読んだ、という人も多く、台湾や中国本土では、私たちにとっての「水戸黄門」や「大河ドラマ」のような国民的存在です。
陳老師もよく武侠小説の話をされていましたが、今思えば金庸作品だったのかもしれません。
中国では武術家が歴史を動かしてきた背景があり、武術は単なる技術ではなく、「精神」や「生き方」そのものとされています。
特に『射鵰英雄伝』と『神鵰剣侠』は、登場人物一人ひとりがとても魅力的です。
彼らは自らの未熟さや迷いと向き合いながら、師匠や仲間との出会いを通じて成長していきます。
それはまさに、私たちが日々の稽古で大切にしている「継続」「敬意」「礼節」といった、武の道そのものです。
敵と戦う場面でも、単に勝つためではなく、「力をどう使うか」「どう生きるか」といった葛藤が描かれます。
強さとは、他者を打ち負かす力ではなく、自分を律し、人を守る力であることを教えてくれます。
また金庸の物語には、剣や拳を超えた「道」が息づいています。
名声や勝敗よりも、正義や情、人としてのあり方が問われるのです。
まさに、
「拳在人心、道在脚下。」
拳は心にあり、道は自らの一歩一歩に宿る。
(これはサウレちゃんへの色紙にも書いた言葉です)
武道を志す者にとって、金庸の世界はフィクションを超えた「生きた教え」。
読みながら、私自身も「もっと強くありたい」「もっとよりよく生きたい」と自然に思わされます。
武道は、始めた瞬間から“道”の旅が始まります。
一足飛びに上達することはありませんが、地道な一歩一歩の積み重ねこそが修行であり、継続がやがて大きな差になります。
私はインドネシア駐在時代の1991年に始めた合気道から太極拳、カンフーで、今や34年になります。
続ければ続けるほど面白く、それこそ底なし沼にハマった気分です。
どうか皆さんも、始めた道を途中であきらめず、自分の歩幅で歩み続けてください。
武道は、人生の軸となる“心の道”です。
最後に、写真はこれまで読破した金庸シリーズです。
興味のある方は、ぜひお気軽に声をかけてくださいね。