ACOH-S 通信 No.65

カテゴリーACHO-S通信
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先月号は台湾合宿の報告をしましたが、今月号は新たに入会された生徒さんもいらっしゃるので、もう一 度台湾の柔田門気功について、お伝えしておきます。

台湾の柔田門気功は、もともと 1867 年頃中国大陸から道教のお坊さんとして来られた黄真人宋師が、台湾の虎尾という村に、道場を開いて始まりました。
もともと黄真人宋師は、大陸で武当派の武術を習得し、 台湾に来てからは二年間の閉館(誰とも会わず、ほぼ草を食べて修行、悟りを開くにいたる)により、柔田門の独特の呼吸法(吐納法)を編み出されました。
その時代の虎尾と言う村では、川を渡ってくる盗賊に対抗する為、村人のほとんどが武術を学んでいるような環境で、三歩歩くと道場にぶつかると言われていたほどです。
陳佐鎮老師のご両親も、武術の達人で、特にお母様は九人の子供を育てながらも、優しく、強く、働き者だったとお聞きしています。そんなお母様に育てられ、老師の基本は、女性もカンフーができて、なおかつ美しくあることが重要という考え方です。

ある時、陳老師は柔田門気功以外の、鉄砂拳という武術を自己流でお米に手を突っ込んで練習していて、 指先は黒く変色し、腫上がり、見るも無惨な手になってしまいました。その手を、黄真人宋師に見つかり、 「そんな手になって、一体何が良いのだ。力を入れて練習し、結果はそんな醜い手になっても良いなら、柔田門を学ぶ資格は無い!」と、破門されたそうです。

まだ小学校だった陳老師には、内家拳(力では無い内氣を養う気功)の価値がわかりませんでした。無理 もありません。その頃、柔田門の道場では大人ばかり、陳老師は最年少でしたし、毎日同じ動作の練習ばかりで、見かけ上は何も強そうではないし、かっこよくも無かったのです。
でも、黄真人宋師の強さは人並み外れていたため、結局は父親と一緒に謝りに行って、もう一度道場に戻られたと言うエピソードがあります。
このエピソードから、老師はいつもおっしゃいます。

「親からいただいた大事な身体を傷つけてまでする武術とは、一体何の価値があるのか?空手やボクシング、その他、鍛える為といって、かえって身体を痛めつけるものは、若い時はまだ良いが、結局は最後は内氣をいかに積むことが、健康と長生き、そしていつまでも若く、きれいでいられるのだ!」と。

陳老師は黄真人宋師が亡くなった後、政府の国家公務員をしながら、台湾であらゆる武術の達人と言われる有名な道場に通ったり、家に呼んだりして研究しましたが、結局師である黄真人宋師以上の達人に会うことはできなかった。
柔田門気功のすごさが、あらためて宋師亡きあとに実感されたのでした。

その黄真人宋師のすごさは、一言で言うと、内側の完璧な放鬆ができていた為に、どんな武術の達人も宋師に近づいて触ろうとしたり、攻撃すると、宋師は何もしないのに、相手が自分で転んでしまうほどだったそうです。
私は耳で聞いてるだけなので、表現が難しいのですが、陳老師がそこまで尊拝する人であるなら、やはりすごかったのだろうと想像します。
ちなみにこの柔田門の吐納法と気功を極めた黄真人宋師は、自分の死期も何年何月何日まで、かなり前から予告していたそうです。
そして、究極の自然体になれたとき、病気ではなく老衰で逝くことができると宣言されていて、その通りに97歳で徒弟に見守れながら亡くなったそうです。

病気で死ぬのは、本来は自然に反しているそうです。それが究極なのですね。それを目指して、この柔田門気功を極めて生きたいと思います。


2010年、陳老師の故郷、虎尾を訪ねて行った時の写真です。

左から陳老師、秋葉明子、陳老師の在職中の台中の部下であり、気功の生徒の恵淑さん。